単純な人たち

http://d.hatena.ne.jp/kanimaster/20091022/1256217225というエントリ見て思ったのだが。


「形容詞+です」の形が口語で古くから使われているのを知りつつ、「アナウンス」における使用を「誤用」と言い立てる人達は日本語を人工語か何かと間違えているのだろうか?
古くから口語で使われていた用法を口頭で使用するのは、「もはや意味が通じない」場合を除いて誤用ではなく、文法的には「とりこぼし」である。つまり「『文法』側の不備」なのだ。自然言語の文法はあくまでも「そこにあるものを整理・採録する」ものであり、未採録の用法は未採録なだけであって間違っているわけではないのだ。
例えば「可能動詞の分化(ar除去)」の途中で分断した「標準語」だと可能動詞の内「ラ付き言葉」だけが残ってしまい、分化が完了した形の「居れる」が誤用になる。が、分化が進んだ「現在の」日本語の文法としては正しい、など。


さて「危ないです」だが、個人的にはこの用法は「強制名詞化」的に把握していて、「です」という言葉が前に付く言葉を名詞化させる効果を持たされているのだと考えている。似た様な効果を持つものとして「する」が挙げられるが、これらの用法については前についた言葉の品詞が何であろうとも「名詞」と看做すのだ。そうしてその単語の示す概念を「状態」として提示したり「動作」として提示したりする。便利と言えば便利で特に外来語ではこの用法が必要になるケースが多いので、外来語が多くなればなるほど従来の日本語においても活用される機会が多くなるのではないかと思う。


ついでに、元エントリのコメントに「危ないだ」と言わないという指摘があったが、「『危ない(という状態)』だ」というニュアンスがあり得るので、無いとも限らないぞと思ったりする。