多分一つの典型例

以下はとあるBlogの一部引用。エントリのタイトルと引用文を読めば内容は推して知るべしだが、Blog主はそれはイヤらしいので各自適当に対応希望。

戦闘中は人影であれば、味方かそれ以外かの判断だけをし、自分のみを守る為に発砲する事が多々あります。時には味方も撃つこともあるかもしれません。

ここで勘の良い方はわかるでしょう。
戦闘中はあくまで「誤射」になるのです。


この文章で思い出すのはよく南京事件否定論者の主張する「そんな大量の弾薬はない」みたいな話。南京における中国人の死者を「会敵中の死者」に限っちゃえばそりゃそうだ。


だがしかし。
明らかに民間人と解っていて殺傷したり、既に武装解除されている捕虜を処刑したりする*1のは当然「虐殺」だし、対ゲリラ戦闘の一環として民間人の格好をしている者を殺傷するのも一応「虐殺」だ(虐殺だと了解の上で行うべき戦闘法だ*2)。そしてそういった事例がゾロゾロ出ちゃう*3のが悲しいかな、「南京事件」なのだ。


中世的な戦争観のヒトの為に喩えるなら、南京進攻部隊の一部は後の憂いを避けるためか「根切り」をやってしまったという事だ。わが国では古くから行われてきた事だが、近代社会の倫理観はソレを許してくれない・・・というコトだと思う。


あと細かい事だけど、誤射率が一定の数字を超えたら誰も「誤射」とは認めてくれないぞ。

*1:捕虜を扱う他の処遇法が事実上無かったとしても

*2:そしてソレが解っているから否定論者は「ゲリラは捕虜の待遇を受けられないから処刑しても合法」という摩訶不思議な法制を提示する事になる

*3:本人達は正規の戦闘をしているつもりだったからだと思う