靖国関係の餌

ええと・・・はっきり言ってとばっちりです。spanglemakerさんごめんなさい。別エントリで書いたNachtKraehe氏の絡みで「靖国神社」のキーワードを眺めてたら面白いエントリを見つけたので、「支離滅裂な」コメントを。支離滅裂な上に長いんで、ちょっと折り返して置きますね。

そのエントリ靖国神社と日本人 (PHP新書)の書評なのですが、引用された部分を読む限り何か凄い事言ってます。

 蘘國神社は御創建以来、国事殉難者の招魂慰霊の場であり、それは我が国人の古来の伝統たるみたま信仰と結びついている。だがそこには宗教としての教義があるわけではなく、教会が組織されているわけではなく、遺族会は宗教団体ではなく、蘘國神社の如何なる儀式、祭典をとってみても、それを布教活動と見ることは到底不可能なものばかりである。<略>

・・・えーと、原著者はどうやら「宗教には成文教義がなければいけない」と思っている様です。更に、靖国神社が宗教法人である事は無視でしょうか?
で、更に

 蘘國神社は宗教施設でもあることを認めた上で、更に国民道徳涵養のための教育施設としての意義を重視するが故に、国家による護持・運営が妥当である、との理論的結論は出る。<略>

・・・いや、ダメだってば。憲法の原文読んでるのか?
で、この引用によって著者は

小堀氏は靖国神社が普通の宗教団体(いわゆるchurch)とは異なるとし、現行憲法下であっても国家護持が可能と考えている(P.141およびP.202)。

と書いてるんだけど、法律上は靖国神社普通の宗教団体なので現行憲法下での国家護持は不可能です。こんな屁理屈がまかり通るなら、「国立戒壇」の四文字が浮かび上がって顕彰会やら創価学会なんかが大喜びしちゃいます。
次に、コレ。

<略>総じて日本の公的機関の構成員は公的資格のままに蘘國の祭祀に参加したり、参拝したりすることが認められない。

 そうなると、日本という国は、国事殉難者の霊に対して公的行事として感謝・報恩の儀礼を捧げる方途を持たない、文明国としては実に異例の忘恩国家だということになってしまう。蘘國神社に鎮まります二百四十六万余柱の英霊に対してあまりにも冷酷な忘恩の仕業であると共に、およそ国家としての品格を欠いた、文明国にあるまじき礼の精神の欠如した国だとの評価を作ってしまうことにもなる。それでもよいのか――との重大な問いかけがここに生ずる。

前段は公式参拝支持者も反対者もつかうインチキレトリックです。「公的資格」って何だよ。そんな物は法律的に規定されていないんだから法律的に禁止されるわきゃないだろ。やっちゃいけないのは「法律行為として祭祀する事」です。個人の宗教行為はOK。多分「国家の行為」と「個人の行為」の線引きが良く判ってないのだと思いますが、民主主義制度を採る社会では「国家の行為」は適切な議会で適切に承認されたものである必要があります。例えば市役所の備品の鉛筆を一本買う為にもちゃんと議会で承認された予算を使う必要がある・・・という感じです。
私は以前から何故「公的資格」だの「公人として」だのといった怪しげなレッテルで靖国参拝を語るのかなぁ・・・と思っていましたが、結局「肩書きスキー」な人達の妄想なんじゃないかと考える様になりました。本当は「社長」は社長の業務を行うときだけ「社長」なんですけどねぇ。ここらへんは日本人の伝統だから仕方ないのかもしれませんが。
さて、後段については・・・「無宗教の追悼施設つくりゃいいじゃん」で終わりですねぇ・・・。何か変な思い込みで勝手に「真理」を作っちゃってるから無宗教の追悼施設ではいけない理由が記されて無いし、そもそも「英霊」ってのを前提にしちゃうと「そんなカガク的にインチキな物に予算を執行する事は許さん」という人達をフォローできないじゃないですか。無宗教にしとけばそこら辺が如何様にも言い訳できるので「思想信条の自由」を標榜する国家には相応しいと思います。
んで、首相の参拝についてですが、私はこの様に考えます。

  • 別に首相が靖国神社に参拝したって憲法に反する訳じゃない
    • 政府も行政行為としての靖国参拝をやってない
  • 従って中韓の非難は内政干渉には該当しない
    • つまり「個人の行為」を非難している事になる
    • 政府が個人の行為に難癖つけるのは如何かとも思うが、それは相手方の勝手
  • 外国政府から非難されている「個人的で合法な行為」を小泉氏がするのは彼の勝手
    • それによって外交上の不利益があったとしても
  • そんな事をする人間を首相の座に置きっぱなしにするのは国民の勝手
    • 勿論そんな事する奴を首班指名する政党はけしからん・・・と次の選挙で対立勢力に投票するのも国民の勝手

てな感じでしょうか。自民党内部にもこの少々ヤバイ状態に危機感を持って動いてる人もいる様で。特に「次期首相」の位置にいる人達にとっては悩ましい状態でしょうな。
どちらにせよ、戦没者を慰霊するのに個人的信仰心以外では靖国神社を優先的に利用する積極的な理由がありません。そして個人的信仰心を理由に国家護持を唱えるのは信仰を異にする人間にとっては傍迷惑以外の何物でもありません。

別の問題というか蛇足

赤風味な意見

靖国神社なんて所詮は「薩長幕府の守護神」を祭る所なんだから、「米国の植民地」である我国にとってはもはや歴史的遺物以上の価値は無いと思う。被占領後の受難者も合祀するなんて馬鹿げた悪あがきするから問題が複雑になるんだよ。

宗教家としての意見

戦前は制度上、国民は皆靖国神社の信徒として扱われたから「皇軍の兵」が皆祀られるのは解る。しかし、戦後は靖国神社の信徒である事が強制される訳ではないから、例えばキリスト教日蓮正宗の人が「勝手に合祀するんじゃねぇ」という主張には一理あると思う。彼等の遺族にとっては神道に基く靖国神社の祭祀が死者に対する冒涜になるって事を忘れてはいけない。

法学者(崩れ)な意見

裁判の結果に対する反論は裁判によって行わなければならない。従ってA級戦犯は対外的には未だA級戦犯のままだ。それを無視した意見を他国に主張しても受け入れられるワケがない。