国際テロ

ま、いろんな流れであんとに庵さんの記事にたどりつく。で、以下の文章を見てちょっと考えた。

中立と呼ぶには違うんでしょうが、ただ自分的な道義的にああいう市民の働くびるじんぐをいきなり宣言もなく攻撃する。あるいは非戦闘員である市民達が憩うカフェなどにいきなりテロをしかけるってのはナニかが違う・・などとは思ってはしまいますんで、この辺りのテロルの理屈ってのもよく判らない。

例えば日本が喧嘩上等の国だったとして、他国にわが国の意思を押し付けたいと思ったとする。で、その方法として「国際テロ」の利用を検討する。
相手が北朝鮮の場合、テロっても意味が無い。いくら一般市民を攻撃したところで親愛なる将軍様は彼の意向に合致しない限りわが国の要求を受け入れないだろう。それが独裁国の強みであり弱点でもある。アメリカやイスラエルが好きな「指導者の暗殺」という方法を使えばあっさりカタがついてしまう。
一方、相手がアメリカの場合は状況が逆になる。ピンポイントで藪親子を殺したところで、代わりの人間はいくらでも居る。だから暗殺コースは効果が上がらない。そこでテロってみる。このときに重要な事は市民が「死ぬかも」と考える事であり、更に彼らが何故死ななければならないかを理解していなければならない。
何故市民が死ななければならないかと言うと、それはアメリカが民主国家だからだ。民主国家では政府の行動の責任は最終的に有権者が負うアメリカ政府が日本の言う事を聞かないとき、その責任は市民にあるのだ。別の言い方をすると、戦争類似行為を行っている民主国家に属する一般市民は基本的に非戦闘員ではありえない、と言うことだ。
とは言っても現在のアメリカ、そしてアメリカンスタンダードを採用している国家は基本的に「武断政治」ならぬ「金断政治」が行われているので、テロはあまり効果が上がらないと思う。多少一般市民が死んだところで資本家の身体と資本の安全が確保されていさえすれば別にどうと言うことは無いからだ。逆に言うとアメリカの資本家の資本を無効化する事ができればそれは大統領を暗殺する事以上の効果を発揮するだろう。
じゃぁ建前上は「金断政治」ではない中国はどうかというと、こっちは言ってみれば「中国型共産主義」という信仰によって国家が動かされているのでやっぱり難しい。バチカンが十字軍でいくら信者が死のうと魔女裁判で粛清の嵐が吹き荒れようとその地位を保てた様に、中国もテロで一般市民がいくら死のうがその信仰を曲げる事は無いだろう。というか国民結束の宣伝材料にしかならない。
しかし、当然の事ながら中国はその信仰の基盤を崩されると自壊してしまうだろう。ソヴィエトが崩壊した様に。一応カガクを標榜する共産主義なので論理的に攻められると弱いし*1


ま、そんなワケでイスラム過激派の9・11攻撃は戦術的にはまったくもって正しいのだと思う。しかし彼等には大きな誤算があった。アメリカという国は彼等が考えているほどまっとうな民主国家ではなかった。その為あの程度のテロでは政策を変えさせるほどのインパクトを与えられないのだ。

*1:ここら辺、原理的に論理的な議論では論破できない事になっているバチカン御一行様は強いよなぁ