法治的男系維持論・・・むつかし

前のエントリで「女系容認は憲法改正無しでできる皇室典範改正の限界」みたいな事をうっかり書いてしまって(笑)「じゃぁ、どう憲法改正すれば男系維持が可能になるか」ってなコトをつらつら考えてみた。
まぁ、端的に言って「天皇の定義に男系である事を含めれば良い」ってダケなんだけど、結局は民主主義者に対して「天皇にとって伝統(または男系)を維持する事がなぜ大事か」という点で説得しなけりゃならないコトには変わり無くて、それは皇室典範改正に比べてあまりにもハードルが高いなぁ。


民主主義的天皇観からすると天皇の価値は「国民の総意によって国民統合の象徴となる」というところにある。現在価値を認めているので過去がどうであったかという事はあまり関係ないのだ。むしろ旧弊と戦ってきたリベラル戦士たち(笑)なので、「伝統そのもの」を価値の源泉にするという考え方を受け入れるワケが無い。確実にその伝統が「良い伝統か悪い伝統か」の評価を求めて来るわけだ。
で、リベラル派は「ここらで古来より連綿と続いてきた男系継承という悪弊を断ち切ろうよ」と主張しちゃうんだよね。生物学的性差に起因するモノ以外の「ジェンダー」を取っ払おうとしている男女同権論者にとっては切実であるし象徴的でもあるのではないかと思う。


これらの問題をくぐりぬけて改正できると踏むのなら、「男系維持論者」はまず、憲法改正を主張して欲しい*1。ただ、グズグズしていると「天皇が公式に消滅する」という事態になりかねない。将来を見越した場合、現在でも遅すぎるのだ。

*1:天皇条項をなくすというオプションも含めて。法定で無ければ皇位がどの様に継承されてもそれは憲法の保護する自由に含まれる範疇なのだから