ネズミにも愛を

猫の話題を追ってあちこち見て回ったが、「殺せる動物の境界」的なネタがちらほら見受けられた。仔猫は殺してはいけないが仔ゴキブリは殺していいのは自分の心に敷居値があるからだ、との推理からその敷居値の場所を探るみたいな。
で、id:antonianさんのところのコメント欄で井上さんと言う人が提示した敷居値に無駄に反応*1してしまった。

それはきっと犬や猫が妙に人間臭くて
何かものを考えていそうで我々人間にとって
意思疎通可能な生き物だと
私達人間側がきっと認識しているからでしょうね。
だって野良猫でも近所で何度かすれ違ってるうちに
こちらを顔見知りと認識して
しっぽをひょいと上げて立ち止まったりします。
ゴキやネズミはそれがないですしね。

ああ、なんということだ。

世の中の人達はネズミさん達の認識能力を感じる事が出来ないのだ。
集団型生物は集団で生活する必要からそれぞれのやり方の意思疎通またはスキンシップの術式を持っている。蜂のダンス、アリの触覚キス、鹿の角競り合いやコモドオオトカゲ相撲なんかもそうだ。
一方単独型生物は個別のZOCを持ち繁殖や育児以外の場面では「親でもそこには入れない」状態を保つ。が、ZOCを維持するために標章を「理解可能な形で」設置する。


街中で出会うネズミさんにとってニンゲンは「鬼畜米英」位の認識しかないので愛想を振りまく必要なぞない。しかし、餌くれたり遊んでくれたりする相手だと認識するととたんに愛想を振りまき始める。ま、野生のネズミさんは常に餌を求めているので餌をやるのが手っ取り早いが、とにかく「無害なトモダチ」扱いされなければ意思の疎通はなかなか難しい。
以前も書いたと思うが、ネズミさんは首筋や耳の後ろなんかがスキンシップポイントで、そこをコチョコチョやってやると結構仲良くなれる。餌が十分な飼育下では籠の扉をあけてやるとタッタカターと走り寄ってきて「やれ」と言わんばかりにスキンシップポイントをこっちに向ける。
さらに「餌くれるヒト」と「遊んでくれるヒト」を峻別する事も知られているし、ウチのデグーさん*2は「餌の袋」も見分けているぞ。更に何度か怒られてからはパソコンケーブルを私の見ている前では齧らない様になった。良い子だ。


ゴキブリは・・・知らない。観察する前に踏み潰しているから。観察すればそれなりに愛着を持つかもしれないが。つまり、対象に対する理解度(たとえ誤解にもとづくものであっても)が敷居値を決める要因なのかもしれない。

*1:本筋とは無関係なのでコメントはつけないけど

*2:何度でも言うが「テグー(teguixin)」ではなく「デグー(degus)」だ。少なくともペットショップは濁点つけるのを忘れるな!!