「無い」の証明

よく「○○があるか無いか」という議論で「無い」を主張する側が「無い事を証明せよというのは悪魔の証明であり、アンフェアだ」と言い出す。これは半分正しく、半分誤っている。
悪魔の証明」であるのは確かにそうだ。「無い」という事を証明するには「全ての事象が認知可能に定義されている閉じた系」で「原理的にありえない」という事を証明するか、「ラプラスの魔」や「エホバたん」に手伝ってもらうしかないのだから。
一方「アンフェアだ」というのは誤りだ。何故なら「ある」という主張はある特定の事象について語っているのに対して「無い」というのは包括的な事象を語っているからだ。つまり「無い」側の言及範囲がとてつもなく広いのでこの様な状態になるのであって、それは「ある」側の責任ではない。「大きなつづら」を選んだ者がその自重で潰れるのは自業自得というものだ。


で、このネタの発想元である某コメントにある「あるとは言えない」はどうか。
コレは悪魔の証明でもなんでもない。何しろ「『ある』とはいえない」と言っている以上「ある」を否定しているに過ぎないので、「ある」側の論拠を崩すに足りる反証を提示すれば良いだけの事だ。「崩すに足りない」ならば「『[ある]とは言えない』とは言えない」だけだ。


じゃぁ逆パターンの「無いとは言えない」はどうか。
私の印象に残ってるのは、注意深い科学者がこの表現をオカルトに対して使ったケース。「神は存在しないとは言えないが、科学的には存在を記述できない」と。なるほど、反論の余地無しだ。これに反論するには「神」を科学で扱える形で記述する事が必要であり、そんなコト可能だったら我々はソレを「神」とは呼ばない。