君が代訴訟について

とりあえず判決理由について。

2007年02月28日17時58分
君が代訴訟判決理由の要旨
 君が代訴訟で27日、最高裁が言い渡した判決理由の要旨は次の通り。
 【多数意見】上告人の教諭は「君が代がアジア侵略で果たした役割等の正確な歴史的事実を教えず、子どもの思想・良心の自由を実質的に保障する措置を取らずに歌わせるという人権侵害に加担することはできない」などの思想と良心を有すると主張する。しかし、ピアノ伴奏を求める職務命令が直ちに上告人の歴史観や世界観を否定すると認めることはできない。
 本件職務命令は、公立小学校の儀式的行事で広く行われ、上告人の小学校でも従前から入学式等で行われていた国歌斉唱でピアノ伴奏を命ずるもので、上告人に特定の思想を強制したり、禁止したりするものではなく、特定の思想の有無について告白を強要するものでもなく、児童に一方的な思想や理念を教え込むことを強制するものとみることもできない。
 憲法15条2項は「公務員は全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と定めており、地方公務員も地方公共団体の住民全体の奉仕者としての地位を有する。上告人は法令等や職務上の命令に従わなければならない立場にある。
 小学校学習指導要領は「入学式や卒業式などでは国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導する」と定めている。ピアノ伴奏で国歌斉唱を行うことは規定の趣旨にかない、上告人の小学校では従来入学式等でピアノ伴奏で君が代斉唱が行われてきたことに照らしても職務命令は不合理といえず、上告人の思想・良心の自由を侵すものとして憲法19条に反するとはいえない。
 【那須弘平裁判官の補足意見】上告人が心理的矛盾や精神的苦痛にさいなまれる事態が生じる可能性があることを前提に、これをなぜ甘受しなければならないのか述べる必要がある。
 入学式のピアノ伴奏は演奏者の内心の自由たる「思想および良心」に深くかかわる内面性を持つと同時に、入学式で参列者の国歌斉唱を補助し誘導する外部性を有する。このような両面性を持った行為が、思想・良心の自由を理由に学校行事という重要な教育活動の場から事実上排除されれば、学校教育の均質性や学校の秩序維持に深刻な問題を引き起こし、良質な教育活動の実現に影響を与えかねない。
 入学式の君が代斉唱について、学校は消極的な意見を有する人々の立場にも相応の配慮を怠るべきではないが、斉唱に積極的な意義を見いだす人々の立場も十分に尊重する必要がある。職務命令の拒否を許せば、子どもたちが国歌斉唱を通じ新たに始まる学年に向けて気持ちを引き締め、学習意欲を高める格好の機会を奪うことにもなり、結果的に集団活動を通じ修得すべき教育上の諸利益を害する。
 国家斉唱が組織として決定された後は、協力する義務を負うべきだ。職務命令はこの義務を明確に表明した措置で、違憲、違法とする理由は見いだし難い。
 【藤田宙靖裁判官の反対意見】本件における真の問題は、入学式でピアノ伴奏をすることは上告人にとって極めて苦痛であり、強制が許されるかどうかという点にある。
 信念・信条に反する行為を強制することが憲法違反とならないかどうかは、改めて検討する必要がある。例えば君が代を国歌として位置付けることに異論がなく、オリンピックの優勝者が国歌演奏でたたえられることに抵抗感が無くても、君が代の評価に関して国民の中に大きな分かれが存在する以上、公的儀式の斉唱強制に強く反対する考え方もあり得る。このような信念・信条を抱く者に斉唱への協力を強制することが直接的抑圧となるのは明白だ。
 公務員は全体の奉仕者だから基本的人権についていかなる制限も甘受すべきだといったレベルの一般論で、権利制限の可否を決めることはできない。本件も、校長の職務命令で達せられようとしている公共の利益の具体的内容が問われなければならない。上告人の「思想および良心」はどのような内容か、さらに詳細な検討を加える必要があり、その自由と公共の福祉や公共の利益との考量について具体的に検討されるべきだ。原判決を破棄し、本件を差し戻す必要がある。(了)

多分、ココがおかしいんだと思う。

 本件職務命令は、公立小学校の儀式的行事で広く行われ、上告人の小学校でも従前から入学式等で行われていた国歌斉唱でピアノ伴奏を命ずるもので、上告人に特定の思想を強制したり、禁止したりするものではなく、特定の思想の有無について告白を強要するものでもなく、児童に一方的な思想や理念を教え込むことを強制するものとみることもできない。

公立小学校の儀式的行事で広く行われという状態を上告人が思想の強制であると主張しているので、

小学校学習指導要領は「入学式や卒業式などでは国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導する」と定めている。ピアノ伴奏で国歌斉唱を行うことは規定の趣旨にかない、上告人の小学校では従来入学式等でピアノ伴奏で君が代斉唱が行われてきたことに照らしても職務命令は不合理といえず、上告人の思想・良心の自由を侵すものとして憲法19条に反するとはいえない

という判断は無根拠。
コレも無根拠だな。

子どもたちが国歌斉唱を通じ新たに始まる学年に向けて気持ちを引き締め、学習意欲を高める格好の機会を奪うことにもなり、結果的に集団活動を通じ修得すべき教育上の諸利益を害する。


基本的に裁判官は「上告人が憲法上で保証された権利について制限的に働く下位法令違憲にならない憲法上の論拠」を示さなければならないと思う。それなのに

 憲法15条2項は「公務員は全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と定めており、地方公務員も地方公共団体の住民全体の奉仕者としての地位を有する。上告人は法令等や職務上の命令に従わなければならない立場にある。

なんっつったって、そもそもその「法令等や職務上の命令」が憲法に反しているという上告人の主張なのだから、コレを理由に上告人の憲法上保護されるべき権利を制限可能とする論理は主客転倒である。


もっとも、憲法が縛っている対象であると目される「下位法令」の違憲性の判断は回避するのがわが国の最高裁判所の芸風*1だから、期待はもともとしてないんだけどね。

*1:なんでも、「選良」である議員の決めた「法令」にケチを付けるのは憚れるんだと