靖国神社

総裁選レースが始まったためか、またちょっと話題に上る様になった靖国神社について、最近考えたコト。


小堀先生の解説によると、靖国神社の前身は九段の陸軍練兵場の一画に設けられた「先達の遺業をしのぶ祠」だったそうだ。コレは日本の習俗的には特に不自然の無い施設で、例えば四谷の田宮神社*1みたいなモノだ。
当然当初は天皇をはじめとする皇族の崇敬も得ただろう。別に不思議は無い。軍の行動を美化して伝える、問題無い*2。そもそもそういう施設なんだから。


ところが、戦後になってから天皇の表わす不快感を無視してA級戦犯合祀に踏み切る。ここで靖国神社は宗教的に変質してしまったのではないかと思う。
と、言うのはA級に限らず戦犯として処刑された人たちは「軍務で死んだ」ワケではないからだ。殉死は殉死なのだが、彼等は日本の国民の身体財産に戦勝者が危害を加えないことと引き換えに生贄とされた人達だからだ。つまり戦後日本の復興の人柱となった人達なのだ。
当然そういう人達を祀る神社は「鎮魂」の社でなくてはならない。よく古い橋とか堤防の傍らにある小さい祠、そういうモノでなくてはならない。靖国神社の境内に建立するにしても、別棟で祭祀するべきだったのだ。
そうやって別棟で祭祀しておけば、彼等の「死」に対する謝意を示す場として「遺業」をたたえる場である本殿と明確に区別する事ができ、アジア各国に対する釈明もやりやすかった筈なのだ。


個人の信仰の内容というものは、その行動によって推し量るしかない。しかし現在の靖国神社へ参拝する人の本当の祈りの内容が、A級戦犯に対して「謝意」を示しているのか「顕彰」をしているのかを区別する方法は無い。施設そのものがごっちゃになってるのだから。
だから小泉首相の釈明は本人以外には通用しないのだと思う。

*1:本来は良妻賢母の見本の様な人だった田宮於岩さんを祀った社

*2:軍人たちは「当時の」天皇や国民の意を汲んでちゃんと仕事しましたよ・・・という事